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2011年02月13日(日) 

419. 小5で支援級では手遅れ

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を書いていて、思ったことは、

「 教師が甘かったせいで、子どもの未来を台無しにしてしまう 」 ということだ。

あの 夜回り先生ですら、若い時の自分の甘さを責めている。

 

   薬物中毒に関する知識や考え方が甘かったせいで、

   生徒を救えなかった、自分が殺したと同じなのだ。

   シンナー中毒の生徒を救うために、自分の家に

   3ヶ月とか泊めて一緒に生活する。 

 

   でも、家に帰すとまたシンナーを吸ってしまう。
   家庭の環境も悪い。
   これを何度か繰り返した。

 

   で、ある時その生徒がやってきた。
   夜間の授業が終わった生徒指導室。

 

   「 水谷先生、俺、本当にシンナーやめたい。

    でも、水谷先生の所ではやめられないから、雑誌で調べた。

    神奈川県にせりがや病院という専門の病院があるみたいだから、

    そこに連れてってください。 」 と言ってきた。

 

   しかし、まだ若かった自分はこれにムカッときた。

   「 水谷先生のとこではやめられない 」 という言葉に、腹がたった。

 

   「 こんなに一生懸命お前のために頑張っているのに 」 という思いがあった。

   それで、頭に来た自分は、その生徒に次のように言ってしまった。

 

   「今忙しいから、すぐにはいけない。

   病院には、来週の月曜日に連れて言ってやる。」 と。

 

   生徒は、自分にもっと話を聞いてほしいと言った。

   しかし、その日の自分は、冷たく次のように言う。

 

   「 今日はこの後、警察とパトロールがあるから駄目だ。
    警察といるのに、お前を連れて行くわけには行かないだろう?」 と。

 

   それで、早く帰れと促す。
   でも、本当はパトロールなんてなかった。

 

   生徒は、帰りながら自分の方を振り向いて、
   「 今日の水谷先生、冷たいぞー 」 と叫んで、帰っていった。

 

   この6時間後、生徒は国道沿いでシンナーを吸い、
   大型トラックの光に吸い込まれるように飛び込み、
   死んでしまった。

 

   ラスト1回・・・。やめる前の1回。これがあることは、
   当時の自分でさえ、わかっていた。

 

   自分は責任を感じ、自分の進退について考えた。
   そして、最後にせりがや病院に行ってみた。

 

   そこのお医者さんに話しをすると2時間も聞いてくれた。
   そして、次のように言われた。

 

   「 その生徒は、先生が殺したんです。シンナー中毒は病気なのです。

    先生方は勘違いされている。病気を愛や情熱で治せるのですか。

    病気の治療は専門家に任せなければいけないのです。

    愛で治せると思うのは思い上がりです。」

 

   そのあと、自分は薬物に対して猛勉強した。

 

 

 


閲覧数1,757 カテゴリ障がいと教育 投稿日時2011/02/13 11:31
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