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2009年11月14日(土) 

120. 授業の 「ユニバーサルデザイン」 その②

http://sns.yokohama150.jp/blog/blog.php?key=21133

 

で書いた

 

 (1) 向山洋一氏の 「授業の原則十ヶ条」 や、

 (2) 横山浩之ドクターの 「教え方の原則」

 

などの原則が分かっていれば、

 

自分で、自分の 「授業」 を変える。

 

ことも、ある程度、できる。

 

そのための方法は、

 

① 毎日、自分がした授業や、指導の場面を思い出す。

  自分の 「言葉がけ」 (指示、発問、説明) と

  子どもの 「分かっているか、分かっていないかの反応」 を思い返す。

 

   先生の当たりはずれ?
   http://www.rimbaud.jp/blognplus/index.php?e=104

 

   で紹介した 『女教師の記録』 平野婦美子 著、国土社

           http://www.kokudosha.co.jp/search/info.php?isbn=978…4337659520

 

  にも、次のように書かれている。

 

   「 図書館の隣には本棚があり、そこには五十四冊のノートが並んでゐる。
    ノートの背中には兒童の名前が貼られてすぐ引き出せるやうになつてゐる。

     このノートに私は、一日一行でもいいから、一人一人のその日の
    生活状況を記録して、父兄に、自分の子供が學校でどんな生活をしてゐるか
    を知らせ、やがて子供が大きくなつて讀んだ時、まざゝと、自分の幼時の
    生活がわかる様に忠實に事實を書かうとした。

     しかし、いざノートを開いて
    ペンを握つて、この子供は今日どんな事があつったかしらといくら考へても
    浮んで來ない子供がいつも数名出來てしまふ。見れども見えずの人間の力の
    弱さが私には悲しかつた。

    一日一緒に生活しても何もかくことがなく、印象に
    残らないとは。その子供に對しても、叉その子供の親に對してもすまないこと
    だと、詫びたい気持だつた。

    何とかして、自分の眼を開くいい方法はないかと
    考へあぐんだ。それからは、その印象に残らなかつた子供の名前をかいて教卓
    に貼り、その翌日はさういふ子供に特に意識的に注意してみるやうにした。 」

 

  037。 なぜ、先達の仕事は顧みられないのか?

  http://hyocom.jp/blog/blog.php?key=59265

 

  で紹介した 『石に咲く花』 田村 一二 著 教育図書 1942年 

         http://www.kitaohji.com/books/0033_3.html

  も、このような 「毎日、自分の授業、自分の指導を思い返す」 という作業がなければ、

  書けるはずはないのである。 

 

② 時々、自分がした授業や指導の場面を ICレコーダーで録音して

  自分の 「言葉がけ」 (指示、発問、説明) と

  子どもの 「分かっているか、分かっていないかの反応」 を聞き返す。

 

③ 時々、自分がした授業や指導の場面を ビデオカメラで録画して、

  自分の 「立ち位置、子どもとアイコンタクトがとれているか… など」 と

  子どもの 「分かっているか、分かっていないかの反応」 を見返す。

 

 

 

 

 


閲覧数1,884 カテゴリ障がいと教育 投稿日時2009/11/14 19:08
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