よく、学校の先生が言う言葉に、
「 子どもと関係がとれるようになれば… 」 という、
なんとなく、 「 そうだよね。 」 と思わせる言葉がある。
しかし、この言葉は、
「 担任する1年間で、子どもと関係がとれるようにならなかったら・・・ 」
「 全く、この子どもに指導できないのだ。 」
ということを忘れている。
「 担任する1年間で、子どもと関係がとれるようにならなかったら・・・ 」 の場合に、考えられることは、次の2つ。
(1) 担任の教師力不足 (2) どんな担任が担任したとしても、対応の難しい場合
「 (1) 担任の教師力不足 」 はなく、担任はとても教えるのがうまいとする。
しかし、それでも、
(2) どんな担任が担任したとしても、対応の難しい場合
がありうる。
だから、通常級の先生達は、
『 特別支援教育の基礎知識―21世紀に生きる教師の条件 全6巻セット 』 明治図書 http://www.meijitosho.co.jp/series/shosai.html?bango=se56
のような本を読む。
では、養護学校というと、
先生達は、 ほとんど本を読まないし、自分の身銭を切って講座を聴きに行ったりしないので、
子どもは、 小学部1年生から、高等部3年生を卒業するまで、ずっと、
「 (2) どんな担任が担任したとしても、対応の難しい 」 ままだ。
(毎日、担任をつねる。毎日、担任の髪の毛を引っぱる。など)
そして、そのような先生達は言う。
「 障害だから仕方がない。 」
これが、養護学校の不幸だ。
勉強し続けた先生なら、 「 (2) どんな担任が担任したとしても、対応の難しい 」 子どもを
「 障害だから仕方がない。 」 と言わずに、 変えられるからだ。
例えば、次の、上岡 一世 氏がそれだ。
『 自閉症児のY君が就職するまで 』 http://www.meijitosho.co.jp/shoseki/shosai.html?ban…8-002704-6 http://www.meijitosho.co.jp/shoseki/tachiyomi.html?…8-002704-6
この本は、何回も読んだ。 「 嘘だろ? 次のようなY君が就職できるはずない。 」 と思って読み始めた。 しかし、Y君は、この本の終わりで、見事に変わって、就職しているのである。
p.14 > 「あ痛い!」と声をはり上げた時には時すでに遅く、 > 肉もあまりない私のおなかには見事な歯型がつき、内出血をしていました。 > ものがいえないY君の必死の抵抗だったのでしょう。 > Y君の大物ぶりに感心すると同時に、大変な子供にかかわることになった > というのが最初の印象でした。
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