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2010年04月10日(土) 

よく、学校の先生が言う言葉に、

 

子どもと関係がとれるようになれば… 」 という、

 

なんとなく、 「 そうだよね。 」 と思わせる言葉がある。

 

 

しかし、この言葉は、

 

「 担任する1年間で、子どもと関係がとれるようにならなかったら・・・

 

全く、この子どもに指導できないのだ。 」 

 

ということを忘れている。

 

「 担任する1年間で、子どもと関係がとれるようにならなかったら・・・ 」

の場合に、考えられることは、次の2つ。

 

 (1) 担任の教師力不足

 (2) どんな担任が担任したとしても、対応の難しい場合

 

「 (1) 担任の教師力不足 」 はなく、担任はとても教えるのがうまいとする。

 

しかし、それでも、

 

 (2) どんな担任が担任したとしても、対応の難しい場合

 

がありうる。

 

だから、通常級の先生達は、

 

 『 特別支援教育の基礎知識―21世紀に生きる教師の条件 全6巻セット 』 明治図書

 http://www.meijitosho.co.jp/series/shosai.html?bango=se56

 

のような本を読む。

 

では、養護学校というと、

 

先生達は、

ほとんど本を読まないし、自分の身銭を切って講座を聴きに行ったりしないので、

 

子どもは、

小学部1年生から、高等部3年生を卒業するまで、ずっと、

 

 「 (2) どんな担任が担任したとしても、対応の難しい 」 ままだ。

 

 (毎日、担任をつねる。毎日、担任の髪の毛を引っぱる。など) 

 

そして、そのような先生達は言う。

 

障害だから仕方がない。 」

 

これが、養護学校の不幸だ。

 

勉強し続けた先生なら

 「 (2) どんな担任が担任したとしても、対応の難しい 」 子どもを

 

障害だから仕方がない。 」

と言わずに、 

変えられるからだ。

 

例えば、次の、上岡 一世 氏がそれだ。

 

 『 自閉症児のY君が就職するまで
       上岡一世著 明治図書 1986年3月

 http://www.meijitosho.co.jp/shoseki/shosai.html?ban…8-002704-6  

 http://www.meijitosho.co.jp/shoseki/tachiyomi.html?…8-002704-6

 

この本は、何回も読んだ。

「 嘘だろ? 次のようなY君が就職できるはずない。 」 と思って読み始めた。

しかし、Y君は、この本の終わりで、見事に変わって、就職しているのである。

 

p.14

> 「あ痛い!」と声をはり上げた時には時すでに遅く、

> 肉もあまりない私のおなかには見事な歯型がつき、内出血をしていました。

> ものがいえないY君の必死の抵抗だったのでしょう。

> Y君の大物ぶりに感心すると同時に、大変な子供にかかわることになった

> というのが最初の印象でした。

 


閲覧数1,481 カテゴリ障がいと教育 投稿日時2010/04/10 12:29
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Rimbaudさん
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