養護学校 (知的) 小学部の 「研究授業」 を見ていて、思うことは、
「研究授業」 は、教員の 「自己満足」 大会!だ。
(1) まず、 「研究授業」 のために、こんな 「教材・教具」 を作りました。
という 「教材・教具」 ひけらかし大会。
★「普段の授業」 でも、同じだけ 「教材・教具」 を作っているのかというと、そんなことはない。 「研究授業」 の時だけ、(年に1,2回だけ) 特別な 「教材・教具」 が準備され、 「普段の授業」 では、そんなことはないのである。
(2) 「研究授業」 の本番のために、同じ授業を2回は行う。
「演劇」 発表大会。
附属の小学校なら、子ども達は、 「はいはい、練習したように、ここで、この発言をすればいいのね。」 みたいに、 「研究授業」 は、演劇の台詞を一人一人の子どもと、教師が覚えて 話すだけの、「演劇」 発表に過ぎなくなる。
何回も同じ授業で、練習してきたのだから、 (子どもが、「また、この授業かよ。」 と飽きない限り) うまくいかないほうが、おかしい。
(3) 子ども一人一人が 「順番に前に出てきて」 活動する。 残りの子どもは座っているだけ?
これは、「研究授業」 を見ている教師達には、 一人一人の子どものどこができていて、どこが難しいかを じっくり見ることができて、便利かもしれないが、
前に出てきた児童以外は、ただ、座っているだけのことが多い。 (その他の子どもが、前に出てきた児童を、よく見ているというのなら、いいのだが…)
メイン・ティーチャーが1人で、ほとんど授業すると、 メイン・ティーチャー1人で、1人、ないし、2人の子どもを前に出させて 教えることになりやすい。
特に、 「体づくり」 「あそび」 で、そのようにすると、 子ども達は、授業の2/3を 「座っている」 ということになりかねない。
授業の2/3を 「座っている」 ことが、「体づくり」 なのだろうか? 「遊び」 なのだろうか?
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