■バックナンバー
■RSSフィード
RSS 1.0 RSS 2.0 Atom 1.0
■このブログのURL
http://sns.hamatch.jp/blog/blog.php?key=22661
2010年01月01日(金) 

わたしが、高校生の時、

ヘミングウェイの  『日はまた昇る』 を 文庫本で読んだ。

 

大久保康雄訳 と 谷口陸男訳 とを比べながら。

 

谷口訳は、全体を通して、正確な訳だと思った。

しかし、 『老人と海』 を大久保訳で読んで、それに慣れていた

私には、ものたりない文体だった。

 

大久保康雄訳 を読んでいくと、

 

闘牛見物で、主人公達が、

望遠鏡を出したり、双眼鏡を出したり、眼鏡を出したりする。

 

物語の最初、半ば、後半とで、出す物が違うのである。

 

ここで、大久保訳は、学生に下訳をさせ、それを大久保が

大久保の文体に統一していったのだと想像できる。

 

しかし、最初から最後まで読み通すことはなかったのだろう。

最初から最後まで読み通せば、

物語の場面によって、

 

 望遠鏡を出したり、双眼鏡を出したり、眼鏡を出したり 

 

という間違いに気づいたはずだからだ。 

 

谷口訳では、すべて、 「双眼鏡」 と訳されている。

後に、ペイパーバックで英語の原文を読むと、

「glasses」 と書いてある。 「望遠鏡」 という訳は明らかに間違いだ。

 

眼鏡をだしたからといって、闘牛見物の役に立つわけもないのだから、

「双眼鏡」 以外にはありえない。

 

 


閲覧数2,870 カテゴリうんちく 投稿日時2010/01/01 16:55
公開範囲外部公開
■プロフィール
Rimbaudさん
[一言]
「教育」と「障がい、学校、家庭」について、「原理・原則」が見つけら…
■この日はどんな日
■最近のファイル
■最近のコメント
■最近の書き込み