高等部の保護者面談の時には、
「 国語や数学で、こんな勉強をしています。 」 と 使っている教材をいくつもいくつも見せながら、面談する先生を見たことはなかった。
ここの小学部では、よく見る光景だ。
これが、役に立つ保護者もいる。 しかし、役に立たないというか、必要としていない保護者もいる。
家で勉強を子どもにさせる保護者 ( ほとんどが母親 ) には必要なことだが、
子どもの行動障害や、トイレや着替えが自立できていない子どもを手伝うのに 振り回されていて、青色吐息で余裕のない保護者にも、 本当に必要なのだろうか?
わたしは、家庭の教育力に期待はしないことにしている。 ( 保護者は、手一杯であることがほとんど。 )
学校で教えられることは、学校で教えたいと思っている。
「 学校で、こんな教材を使って、こんな勉強をしています。」 と教師が、保護者に言うときに、何を期待しているのか?
「 家でもこんな教材で勉強させてみてください。」 とは思っていなくて、 「 学校では、こんな勉強をしています。」 と説明したいだけだとしたら、
そんなことよりも、保護者が家庭で できることを共有したほうがいいのではないだろうか?
「 学校では、エジソンのお箸 を使って、給食を食べています。」 だからといって、家庭でも簡単にできるかというと、そうでもないのである。
家庭では、スプーンすら使わずに、手で食べてしまうんです。 ということが結構あるのである。
わたしは、家庭の教育力に期待はしないことにしている。 学校で教えられることは、学校で教えたいと思っている。
だから、 「 お手伝い 」 も、 「 学校で こんなお手伝いができています。 家でもやってみて下さい。 」 と学年だよりで書くことはあっても、期待はしていない。
というより、期待してはいけないのである。
192. 「知的障害児の日常生活スキルの形成と長期的維持」 http://sns.yokohama150.jp/blog/blog.php?key=22526
のように、家庭と同じような環境を学校に作って、教えて、 できるようにしてからでなければ、
「 学校で こんなお手伝いができています。 家でもやってみて下さい。 」 などと、言ってはいけないのである。
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