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2010年02月20日(土) 

高等部の保護者面談の時には、

 

「 国語や数学で、こんな勉強をしています。 」 と

使っている教材をいくつもいくつも見せながら、面談する先生を見たことはなかった。

 

ここの小学部では、よく見る光景だ。

 

これが、役に立つ保護者もいる。

しかし、役に立たないというか、必要としていない保護者もいる。

 

家で勉強を子どもにさせる保護者 ( ほとんどが母親 ) には必要なことだが、

 

子どもの行動障害や、トイレや着替えが自立できていない子どもを手伝うのに

振り回されていて、青色吐息で余裕のない保護者にも、

本当に必要なのだろうか?

 

わたしは、家庭の教育力に期待はしないことにしている。

 ( 保護者は、手一杯であることがほとんど。 ) 

 

学校で教えられることは、学校で教えたいと思っている。

 

「 学校で、こんな教材を使って、こんな勉強をしています。」

と教師が、保護者に言うときに、何を期待しているのか?

 

「 家でもこんな教材で勉強させてみてください。」 とは思っていなくて、

「 学校では、こんな勉強をしています。」 と説明したいだけだとしたら、

 

そんなことよりも、保護者が家庭で

できることを共有したほうがいいのではないだろうか?

 

「 学校では、エジソンのお箸 を使って、給食を食べています。」

だからといって、家庭でも簡単にできるかというと、そうでもないのである。

 

家庭では、スプーンすら使わずに、手で食べてしまうんです。 

ということが結構あるのである。

 

わたしは、家庭の教育力に期待はしないことにしている。

学校で教えられることは、学校で教えたいと思っている。

 

だから、 「 お手伝い 」 も、

「 学校で こんなお手伝いができています。 家でもやってみて下さい。 」

と学年だよりで書くことはあっても、期待はしていない。

 

というより、期待してはいけないのである。

 

 192. 「知的障害児の日常生活スキルの形成と長期的維持」

 http://sns.yokohama150.jp/blog/blog.php?key=22526

 

のように、家庭と同じような環境を学校に作って、教えて、

できるようにしてからでなければ、

 

「 学校で こんなお手伝いができています。 家でもやってみて下さい。 」

などと、言ってはいけないのである。

 


閲覧数2,446 カテゴリ障がいと教育 投稿日時2010/02/20 14:41
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Rimbaudさん
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