■バックナンバー
■RSSフィード
RSS 1.0 RSS 2.0 Atom 1.0
■このブログのURL
http://sns.hamatch.jp/blog/blog.php?key=24341
2010年02月20日(土) 

以前の記事で次のように書いた。

 

 255. 保護者面談 (ことばかずで、こんな課題をやってます。)

 http://sns.yokohama150.jp/blog/blog.php?key=24338

  > わたしは、家庭の教育力に期待はしないことにしている。

  > 学校で教えられることは、学校で教えたいと思っている。

 

 

わたしが、このように思う理由の一つは、

 

保護者は、自閉症児のパニックを畏れているので、

家で、パニックを起こしそうなことはさせたくない。」 と思っている。ということだ。

 

しかし、それはムリもない。

 

マンションやアパートの二階よりも上の階に住んでいたら、

 

 子どもがパニックを起こして、大声で泣いたり、

 大きな音を立てて足をドタバタさせたりしたら、

 

と気が気でないのが、普通だからだ。

 

 

 

 

保護者が、自閉症児のパニックを畏れるあまり、

腫れ物に触るようになってしまうのを責めることはできない。

 

だから、

 > わたしは、家庭の教育力に期待はしないことにしている。

 > 学校で教えられることは、学校で教えたいと思っている。

 

教師は、子どもの指導がうまくいかなくても、一年担任をすれば、リセットできる

                                (担任から外れることができる。)

  保護者は、ずっと、リセットできない。

     (保護者であることをやめることはできない。)

 

教師は、一日のうちの何時間かを教えるだけだ。

  保護者は、寝るときも、起きるときも・・・・ずっと一緒だ。

 

 

教師は、自閉症児のパニックに、怯んではいけない。

 

 > わたしは、家庭の教育力に期待はしないことにしている。

 > 学校で教えられることは、学校で教えたいと思っている。

 

 


閲覧数2,385 カテゴリ障がいと教育 投稿日時2010/02/20 14:59
公開範囲外部公開
■プロフィール
Rimbaudさん
[一言]
「教育」と「障がい、学校、家庭」について、「原理・原則」が見つけら…
■この日はどんな日
■最近のファイル
■最近のコメント
■最近の書き込み