わたしは、今までの勤務校の
作ったはいいけど、読む気の起こらない、【 研究冊子 】。
時間をかけて行ってきたのに、子どもが全く変わらない 【 研究 】。
にうんざりしていた。
394. 特別支援学校で教師の 「教え方」 を検討する 「公開授業研究会」
http://sns.hamatch.jp/blog/blog.php?key=34903
の特別支援学校の研究は、
研究通信
http://www.sumida-sh.metro.tokyo.jp/sumida/040kouna…uusin.html
を読んでいるだけでも、わくわくしてきた。
野口 芳宏さんの言うような
「 研究 」 よりも 「 実践 」
「 研究仮説 」 よりも 「 工夫 」
が、そこにあるからだ。
『 総合教育技術 』 2010年5月号の
野口 芳宏 さんを読んだ。(pp.116-119)
<前略: Rimbaud>
学校の本命は研究にあるのではない。我々現場人の本務は実践である。
その実践の質を高めるための研究の必要は当然である。
が、現場にあっての研究は実践力向上のための方法であり、手段である。
目的ではない。小・中学校は、大学や研究所とはその役割が別なのである。
<中略: Rimbaud>
もっともらしい理屈を述べる研究者はいっぱいいる。
が、彼らに、では教室でやってみよ。と言えば大方が逃げる。
自分ではできないからだ。
<中略: Rimbaud>
有力な研究主任が集まる研修会で問うてみたことがある。
「校内の研究を進めていく上で、研究仮説を設定することは必要か、否か」---と。
全員が「必要だ」と答えた。
さすが、と言いたいところだが重ねて私が、
「では、あなたの学校の研究仮説を一つか二つ書いてみてください」
と言うと、これまた全員が書けなかった。
それほど必要であるのなら、そして研究主任であるならば、書けなくてどうするか。
<中略: Rimbaud>
研究仮説は本当に 「現場に」 必要なのか。
--- 不要であり、現場に最も必要なのは 「 工夫 」 である。
どうしたら、もっとよく分かる話し方になるか。
どうしたら、もっと学力が高まるか。
どうしたら、もっと集中するか。
どうしたらもっと上手に読めるようになるか。
それらは要するに指導上の 「 工夫 」 の問題である。
<中略: Rimbaud>
教育書の中で史上最高の読者を獲得したのは向山洋一先生の
『 授業の腕を上げる法則 』 である。この本は、
その名の通り 「授業の腕を上げる 」 ための、
実に重要な 「 法則 」 が明快に説かれている。
その 「 法則 」 とは何か。向山先生の豊かな実践の中から導かれた
授業の 「工夫 」 そのものである。
<後略: Rimbaud>