■バックナンバー
■RSSフィード
RSS 1.0 RSS 2.0 Atom 1.0
■このブログのURL
http://sns.hamatch.jp/blog/blog.php?key=20409
2009年10月17日(土) 
084. 授業の発問を四角囲みする。
http://sns.yokohama150.jp/blog/blog.php?key=20407

の最後に紹介した

 『プラネタリウム』(大塚愛)の授業(千葉幹雄氏)
 http://tos-land.net/?action_search=true&tno=1165524

 の浜上薫氏の解釈は興味深い。

自分は、どう思うかな。

◆現在

 「君は もういない」
 「この公園で」
 「大きな 自分の影」

  (昔から、時は過ぎ、君はいないが、わたしは、
   この公園に、今、いる。)

◆昔

 「夏の終わり」 「2人で抜け出し」 て
 「星空」 を 「君と見た」

 (どこから抜け出したのか?)

   (・わたし=自宅、君=自宅)
   (・わたしも君も同じ自宅、つまりわたしと君は、兄姉-弟妹)
      ※自宅のそばに公園があるのは不自然ではない。

   (・わたしも、君も同じ病院、つまり、
     わたしと君は病気で、同じ病院に入院している。)

      ※病院から母親が子どもと一緒に外出するときに、
       母親が 「抜け出して」 と言うかどうか?

◆現在+昔

 「小さな手をにぎりしめて」
   ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    ↑      ↑
  (昔の君)(現在のわたし)

      ※わたしの記憶の中では、 「小さな手」 のままの
       君の手を現在の 「わたし」 が握りしめても
       違和感はないと思う。


 「小さくても小さくても
  1番に 君が好きだよ 強くいられる」

  ※「強くいられる」 という言葉が、
   浜上薫氏の 「子どもを亡くした若いお母さん」 と 「我が子」 と
   いう解釈に引っぱる。

   男の子と女の子では、 「強くいられる」 がどうもしっくりこない。
   でも、兄と弟のような兄弟姉妹でも、 「強くいられる」 は
   ピンとくるように思う。
  (宮沢賢治の 「永訣の朝」 の兄妹でも、
   兄と弟でもいいと思う。逆に、弟と兄でもいい。)







閲覧数2,288 カテゴリ障がいと教育 投稿日時2009/10/17 19:19
公開範囲外部公開
■プロフィール
Rimbaudさん
[一言]
「教育」と「障がい、学校、家庭」について、「原理・原則」が見つけら…
■この日はどんな日
■最近のファイル
■最近のコメント
■最近の書き込み