084. 授業の発問を四角囲みする。 http://sns.yokohama150.jp/blog/blog.php?key=20407 の最後に紹介した 『プラネタリウム』(大塚愛)の授業(千葉幹雄氏) http://tos-land.net/?action_search=true&tno=1165524 の浜上薫氏の解釈は興味深い。 自分は、どう思うかな。 ◆現在 「君は もういない」 「この公園で」 「大きな 自分の影」 (昔から、時は過ぎ、君はいないが、わたしは、 この公園に、今、いる。) ◆昔 「夏の終わり」 「2人で抜け出し」 て 「星空」 を 「君と見た」 (どこから抜け出したのか?) (・わたし=自宅、君=自宅) (・わたしも君も同じ自宅、つまりわたしと君は、兄姉-弟妹) ※自宅のそばに公園があるのは不自然ではない。 (・わたしも、君も同じ病院、つまり、 わたしと君は病気で、同じ病院に入院している。) ※病院から母親が子どもと一緒に外出するときに、 母親が 「抜け出して」 と言うかどうか? ◆現在+昔 「小さな手をにぎりしめて」  ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ↑ ↑ (昔の君)(現在のわたし) ※わたしの記憶の中では、 「小さな手」 のままの 君の手を現在の 「わたし」 が握りしめても 違和感はないと思う。 「小さくても小さくても 1番に 君が好きだよ 強くいられる」 ※「強くいられる」 という言葉が、 浜上薫氏の 「子どもを亡くした若いお母さん」 と 「我が子」 と いう解釈に引っぱる。 男の子と女の子では、 「強くいられる」 がどうもしっくりこない。 でも、兄と弟のような兄弟姉妹でも、 「強くいられる」 は ピンとくるように思う。 (宮沢賢治の 「永訣の朝」 の兄妹でも、 兄と弟でもいいと思う。逆に、弟と兄でもいい。) |